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Drosophila Newsletter (Japanese) No. 10
The Newsletter of the Japanese Drosophila Research Conference
(in Japanese)
February 1997
Impression of Dr. Edward B. Lewis
---- by FUJITA Shinobu
Reports on the 6th European Symposium on Drosophila
Neurobiology
---- by OKABE Masataka
Annual revision of the JDRC addres book
---- by OKABE Masataka
From Jfly (New domain name, call
for stock lists)
---- by ITO Kei
Announcement of the next JDRC meeting (Fukuoka,
Kyushu: 20-22 Aug. 97)
---- by TANIMURA Teiichi
ショウジョウバエ通信 No.10
1997年 2月
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この通信は研究室単位でお送りしています。研究室の方全員に読んでいただけるようご配慮お願いいたします。
・Edward B. Lewis 博士の印象
藤田 忍
・6th European Symposium on Drosophila Neurobiologyに参加して
岡部正隆
・研究会名簿の変更情報をお知らせください
事務局 丸尾文昭
・Jfly より
ドメインネーム変更のお知らせ
研究室所有のストックリスト提供のお願い
伊藤 啓
・第3回ショウジョウバエ研究会集会のお知らせ
谷村禎一
・編集後記
Edward B. Lewis 博士の印象
藤田 忍 (三菱化学生命研)
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筆者がカルフォルニア工科大学のBenzer研で研究する機会に恵まれたのは1979から1982年であったので、有名なLewisの1978年のNatureの論文が世に出たすぐあとになる。
Benzer研のはずれにあった私の実験室から廊下を南に少しゆくと、生物学部で最も古いカーコフ棟の2階廊下につきあたる。この建物はたとえば階段の手すりなどちょっと古いホテルを思わせるような味わいのある建築であるが、その階段を降りた一帯がLewis研であった。Lewisの実験室に入ると左の壁にそった実験台の窓近くに長いアームについた実体顕微鏡があり、そのすぐ脇にランプの熱線遮断と集光用の青い硫酸銅溶液のはいった丸底フラスコがあった。その下を一体何匹のハエが通過したことだろうか。もちろんその周囲にはバイアルや牛乳ビンとそのラックが林立していたのだが、筆者の記憶では装飾画など特別なものはなかった。
Lewisの部屋から西に20mほどのところにハエのストックルームがあり、重いドアを開けて入ると窓のないやや薄暗い室の壁全面が棚になっていて牛乳ビンが並んでいた。前頁の写真はこの室で撮られたものと思われる。手元の1981年の資料によると、ここに1500系統余りのハエが飼われており、全世界からの請求に応じて年間1500本のストックが発送されていた。このためなどに年間10万本の牛乳ビンを使っていたが、その洗浄滅菌とえさづくりはストックルームななめ向かいのキッチンで行われ、そこはカルテックの他のショウジョウバエグループも世話になっていた。病院などで使われる横型のオートクレーブが2〜3基並んでいて、その一帯はいつ通ってもバイアルや牛乳ビンの音が聞こえていたように思い出される。
Lewis博士の経歴についてはすでに紹介されているが、少し補足しておきたい。ミネソタ大学でbiostatisticsを専攻した後、カルテックのSturtevantのもとで学位を得たのが1942年、24才のときであったから非常に優秀であったということであろう。翌年同校で気象学の修士号をとった後、陸軍航空隊に入り、終戦の年には沖縄で気象官として勤務していた。1946年にカルテックの職にもどってからはよく知られているように50年間ひとすじの道である。
Lewisはフルートが趣味ということであるが、かつてバイオロジストが多くそうであったように、動物が知的に好きな人と私には思われる。自宅のクリスマスパーティに呼んでいただいた時に居間のきれいな水槽でタコを飼っているのを見せていただき、博士がその習性について楽しそうに語られた記憶がある。
Pamela夫人はPolycombの発見者であるのでもともとバイオロジストであるが、パーティで片隅にいる筆者のような東洋から来た若僧にも何かと話しかけてくれるなど、全体への気配りができる外交的な人という印象をうけた。小柄なLewisの方は気どらない人柄もあってEdと呼ばれて多くの人にしたわれているが、基本的にはどちらかというとシャイな人で、このことは別表のように彼のラボの研究者数があまり大きくなかったことにも表われているように思われる。直接確かめたわけではないが当時耳にしていたところでは、
Lewisの一日は12時間で、夕方帰宅して就寝し、真夜中に起きて研究室にやってきて朝まで仕事をし、帰宅して昼まで眠り、昼すぎに大学に出てくるというような日課ということであった。それだけ誰にもディスターブされずに集中できる時間を大事にするということであろう。
昨年あるミニレビュー誌に、Morganに始まるショウジョウバエ研究者の師弟関係図が掲載され(Curr.
Biology 6:100, 1996)、誤りや不足もあるにせよ興味深い資料となっている。これによると、Sturtevantの弟子としてDelbrueckを別格とするならば四天王
Poulson, Novitski, Lewis, Lindsleyが並びLewis門下にはJuddとGrellが配されている。その他にLewis研にはどのような研究者が在籍したかをCaltech
Biology Annual Report によって調べようとしたが、日本国内には1978年分と1971年以前がないようなので、ここでは分かった部分についてのみ記しておきたい。
この表をみてまず気づかれるのは、ハエの系統維持などのために、1987年までは10人程度のスタッフがついていたことである。筆者の3年間の留学中にいくつかの面でアメリカの豊かさに感心したものであるが、ここにも見られるように目立たなくても大事なところに金だけでなく人もつぎ込むところにアメリカンサイエンスの底力の一端があるのではないかと思われる。
もう一つ目にとまるのはW. Benderが1980-1981年にVisiting Associateとして
Lewis研に在籍していることである。彼はMolecular analysis of the bithorax
complex というテーマで、インバージョンやトランスロケーションのブレークポイントを手がかりにして、ウォーキングにより(1981年のレポートにはまだ"walking"と記されている)300kbを探査している(Science
221: 23, 1983) 。実際のシークエンシングなどは Hognessのラボで行ったものであろうが、このようにLewisとの連携のうえにこれが進められたこと、また現在では生物種を縦横に越えて展開している分野が当初はショウジョウバエを使って切り開かれねばならなかった必然性があらためて想起される。Lewisの1978年の思想的集大成の優美さに感銘をうけた人は多かったであろうが、その物質的には未知のジャングルにクローニングで切り込んでゆこうとした人は他に誰がいたであろうか。苦闘の末ホメオチック遺伝子のクローニングに先鞭をつけたBenderがLewisとともにノーベル賞にあずからなかったのはどうしてなのか、門外漢の筆者には不思議な気もする。
ともあれ、上の表からも読み取れるように Lewisの業績は多数の門下による成果ではなく、Lewis自身のハードワークと集中力によるものと言えよう。ノーベル賞に至るこのような道が今日なお残されているのか否かは気になる問題であるが、その一方で、研究費のコストイフェクティブネスが叫ばれる昨今、スケールメリットにも助けられて論文生産性の高い大研究室ばかりにサポートが集中するようでは、Lewisの仕事のように20年30年の積み上げによってパラダイムを一新するような研究をひきだすことはおぼつかないようにも思われる。
Lewisの実験室の窓の外は、三方が建物で低い植木などを配して中庭のようになっており、生物学部のパーティはここで開かれるのが通例であった。ノーベル賞の受賞パーティもここで開かれたと推測されるが、Annual
Reportに紹介されたスナップショットでは、Congratulations Edと大書され壁に高く掲げられた幕を背景に、ハットに大きなサングラスのPamela夫人の左腕をとり、サングラスにノーネクタイ・クルーネックセーターのLewisが笑顔でポーズしている。彼はやはりアメリカ人であると思う。偉大なアメリカ人であると。
最上さんから Lewis について書くように頼まれてからもう一年ほどがたってしまった。なにしろカルフォルニア工科大学(カルテック)から帰国してすでに14年、しかもショウジョウバエの系を離れている自分は不適任と固辞したが、結局説き伏せられた。その後いくつかの誌上に博士の紹介が掲載され、私に書けることは何かを考えているうちに時が過ぎてしまった。しかし古い友人との約束は守らねばならないし、親切にしていただいた博士について記しおくのは筆者の務めでもあるので思いきって筆をとった。
(1995年度ノーベル医学生理学賞
発表の際に www に公開された図)
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6th European Symposium on Drosophila Neurobiologyに参加して
岡部正隆 (筑波大学)
昨年9月15日〜19日にドイツのレーゲンスブルグ(Regensburg)にて、6th European
Symposium on Drosophila Neurobiologyが行われた。2年に一度ヨーロッパで開催されるショウジョウバエの神経生物学のミーティングである。このミーティングで私は1年半の研究の成果をポスター発表する機会を得て、2度目の海外での学会発表をしてきた。研究者らしい活動をはじめて4年、初めてのヨーロッパ、初めて参加した海外の小規模なミーティングであった。過去3回参加した(内1回だけポスター発表した)アメリカのAnnual
Drosophila Research Conferenceはご存じの通り非常に大きなミーティングであり、それに比較すると今回はずいぶん違う印象を持った。
今回のオルガナイザーはUniversitaet WuerzburgのDr. Martin HeisenbergとUniversitaet
RegensburgのDr. Stephan Schneuwlyの二人で、実質的にはレーゲンスブルグに研究室を持つDr.
Schneuwlyが準備していたようであった。経費削減のため、ミーティングではInternet上にホームページを作り、開催の案内から参加の申込、抄録の受け付け、事前の抄録の公開まですべてこのホームページとe-mail上で行われた。今年のAnnual
Drosophila Research Conferenceの抄録の受付もこのスタイルであり、近い将来多くの学会がこのスタイルになるのだろうか。申込や抄録の準備は郵便で行うよりe-mailの方が楽であるが、研究室のコンピュータを使ってInternet上で抄録集を読んでいると他の人の仕事のじゃまになりそうで少々気をつかう。
ミーティングのホームページはレーゲンスブルグの写真入で、その町並はヨーロッパの古都といった印象を受けた。この写真一枚からもヨーロッパの歴史と文化を感じる。アメリカのAnnual
Drosophila Research Conferenceしか参加したことがない私は、学会参加のためにこの写真の地へ行くとわかっていても、半分観光気分にさせられてしまう。しかし、ドイツで作成されたホームページのところどころに文字化けがあるのを見て(たぶんウムラウトだろうが)、英語圏外への初めての旅行に少々不安だったのも事実である。
全く別の意味で海外のミーティングに出かける前はやけに緊張する。競争の多い分野に突っ込んでしまった研究室に所属している自分にとって、競争相手の強烈な発表やまだ知らぬ競争相手の出現に遭遇することは苦痛以外のなにものでもない。我々の研究室のテーマの3本柱は、複眼の発生とargos遺伝子、gliaの発生とrepo遺伝子、成虫の剛毛の発生とmusashi遺伝子である。自分の発表するargos遺伝子とchordotonal
organの前駆細胞の発生の仕事も、英国に同じことをしているグループがあることを聞かされると「このミーティングで発表されるのか」とついつい気になってしまう。
実際、オーガナイザーであるDr. Schneuwlyとは92年にargos遺伝子(彼等はgiant
lensと呼んでいたが)に関して我々の研究室とクローニング競争になったし(このとき私はまだ大学院に入っていなかったので、余りよく知らないが)、ドイツのDr.
Gerhard M Technau (Universitaet Mainz)のグループとはrepo遺伝子の機能解析で現在も競争中である。アメリカのミーティングよりもヨーロッパのミーティングの方が我々の研究室の仕事と競争になる演題が出る可能性が高いかも知れない。そんな中でも、拙い英語しか出来ない私に「研究室の代表として彼等から情報を聞き出せ」と凄む教授の命が、出発前の緊張に拍車をかけていた。
9月は2週連続で週末が連休になりミーティング直前の飛行機の予約がとれず、ミーティング開始二日前からニュルンベルグ(Nuernberg)に滞在することになった。ワーグナーの楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」とナチス戦犯に対する「ニュルンベルグ裁判」が行われたことで有名な町である。ニュルンベルグ空港からはホテルまでバスで行こうと考え、どのバスに乗れば良いかと周辺の人に尋ねると英語が通じない。今考えるとおかしいが、フランス人に英語が通じないというのを逆にドイツ人には英語が通じると勘違いしていたのかもしれない。少々不安になる。バスをあきらめタクシー乗り場に並んでみた。タクシードライバーもやはり英語がよく解らないらしいが、ホテルの名前は理解してくれた。ホテルのカウンターでやっと英語を話せる女性が登場し、まずはチェックを現金に両替するように頼んだが、ここでは両替ができないので明朝銀行でやってくれと断わられてしまった。ドイツではアメリカの様にトラベラーズチェックを町中で使うことができないことを教えてもらい、その晩は食事はさることながらジュース一つ買うことができないひもじい思いをし、ますます不安になった。翌日は一日ニュルンベルグの町をうろうろしながら、銀行で両替した現金でお土産
などの買い物をした。ともかくドイツ語を話せないとどうしようもない。誰が英語は国際語だといったのだろうか?全然通じないじゃないか!ガイドブックと大学の教養課程でならったドイツ語を思い出しながら、"Das,
Bitte!"(これちょうだい)を連呼した。それでも、知らない言葉が通じるとうれしいもので、次回ドイツにくるときまでに日常会話程度はできるように勉強しておこうと、このとき確か誓ったような気がする。
ニュルンベルグからレーゲンスブルグまでは列車で移動した。レーゲンスブルグはミュンヘンの北140kmのところにあるドナウ河畔の美しい古都である。歴史は古く、ローマ時代からドナウ川沿いの要衝として重要な役割を果たしてきた町らしい。狭く曲がりくねった石畳の道、ドナウ川にかかるドイツで最も古い石橋、旧市街にそびえる大聖堂とそれを取り巻くレンガ色の建物といった古い町並は、ヨーロッパ旅行をはじめて経験する自分にとって、息を飲む光景であった。ミーティングの会場兼宿泊施設となったカジノホテルはレーゲンスブルグ中央駅からタクシーで10分位の町はずれにあった。
そろそろ、ミーティングの内容についてふれてみる。今回は、参加者が約200人で、日本からの参加者は、筑波大の遠藤啓太君、古久保(徳永)克男先生と私、ERATO山元プロジェクトの伊藤啓さん、伊藤弘樹さん、松尾隆嗣君、大阪府立大の蒲生寿美子先生、田中良晴さんの8人であった。初日は受付と夕食のみで、プレゼンテーションは2日目の朝から5日目の昼までおこなわれた。スライドセッションで35演題、ポスターセッションで67演題があり、スライドセッションの内容はAxon
guidance、 Synaptic plasticity、 Courtship、Circadian rhythms、 Neurogenesis、
Brain structure and function、 Learning and memoryと多岐にわたっていた。この中には特別講演が含まれていて、今回は5人のゲストスピーカーが招かれていた。2日目にDr.
Corey Goodman (University of California, Berkeley)による"From growth
cone to synapse: Genetic analysis of the mechanisms that generate neural
specificity"、3日目にDr. Ernst Hafen (Universitaet Zuerich)による"Genetic
dissection of pattern formation in the developing eye of Drosophila"とDr.
Martin Chalfie (Columbia University)による"A molecular model for mechanosensation
in Caenorhabditis elegans"、4日目にDr. Friedrich Bonhoeffer (Max-Planck-Institut
fuer Entwicklungsbiologie)による"In vivo and in vitro experiments on
axonal guidance"、最終日にはDr. Randolf Menzel (Universitaet Berlin)による"Behavioral,
neural and cellular components underlying olfactory learning in the honeybee"、それぞれ一時間の講演が行われた。Ras
signalのinhibitorであるargos遺伝子の解析を行っている私にとってはDr. Hafenの講演を聞くことができたのは有意義であった。またaxon
guidanceについてもDr. Goodmanのショウジョウバエの話とDr. Bonhoefferのニワトリとゼブラフィッシュの網膜視蓋投射の話を一度に聞くことができた。スライドセッションの会場は一箇所だけで一演題15分のペースで行われ、どのセッションも活発な意見交換がなされた。ポスターセッションは2日に分けて3時間ずつ演者が説明に立った。
昨年4月に参加したアメリカ・サンディエゴのAnnual Drosophila Research Conferenceではdpp、
wingless、 hedgehogの絡んだ演題があふれ、また複眼の発生の仕事も多い印象を受けたが、今回のミーティングではこれらに類似した仕事が殆どなかったことには驚いた。dpp、
wingless、 hedgehogといったお決まりのシグナルトランスダクションの演題が皆無であり、ショウジョウバエの分子神経生物学というとお決まりのphotoreceptorの運命決定機構に関してはHafen氏の特別講演以外になかった。逆に自分の興味の中心である神経発生や形態学の分野では、詳細な形態観察を中心とした仕事が多い印象を受けた。Annual
Drosophila Research Conferenceと比較するには演題数に差があるものの、一つ一つの演題がオリジナリティーに富み、あまり世間の流行に影響されていない印象を受けた。
ミーティング中の朝食と夕食は会場内に設けられた特設食堂で参加者が一同に会して行うスタイルになっていた。特設食堂はスライドセッションの会場の裏に設けられており、食堂とスライドセッションの会場は、スクリーン代わりに使われていた衝立によって仕切られていた。であるから午前9時から始まる朝のセッションが始まってしまうと食堂の出入りができなくなってしまう。食事の席は自由であるので、このときが知らない研究者と友人になれるチャンスとなる。お互いの国の研究事情などの話に花が咲く。会期中、何回か皆で町のビヤホールに飲みにいった。私の座ったテーブルにはイギリス人一人、イタリア人一人、フランス人一人、ドイツ人二人。ここでは研究の話よりも、自分の国での学生生活の話、就職の話、景気の話、政治・経済の話などが話題に挙がった。そのうち、日本人というヨーロッパ文化圏の外の人間を目の前にして、皆の興味が日本の文化に集中し、質問攻めにあった。気がついてみると、一人のイギリス人を除いて皆母国語ではなく英語で会話をしている。皆、同じように言葉のハンデがありながらも自分の国の話や習慣を説明しているのに、日本の文化や習慣に対する質問に答えるのに苦心している自分が少々情けなかった。研究者というものは、海外に出ていろいろな国の人々と話す機会も多いわけで、当然自分の国の説明をするのに困らない程度の教養が必要であることを痛感した。そうは言っても、元来喋ることの好きな私は日本の酒事情や料理の話題を提供し深夜までつまみなしでビールを飲み皆と語り合った。
ミーティングに参加して一番良い経験となったのは、自分の研究のための情報交換ではなく、いろいろな国の人々と語り合うことができたことかもしれない。研究環境の違い、研究の進め方の違い、その違いをつくる文化背景、オリジナリティーの作り方など、国によってさまざまであることを感じた。アメリカのAnnual
Drosophila Research Conferenceではミーティング自体が大きすぎて、なかなか日本以外から参加している研究者と友人になり夜どおし話すようなチャンスに恵まれない。小規模なミーティングの利点であるその溶け込みやすさからか、今回は文化の背景の異なる多くの国に友人を作ることができ、各々が各々の考え方と方法をもって日常や研究に勤しんでいることを実感した。
ある日、朝食の時、ドイツ人の大学院生に「アメリカ人の朝食ってしってるかい?ハムエッグ食べているんだよ。朝からあんなあったかいものよく食べられると思わないか?おれは駄目だ。」といわれ、日本の朝食(ご飯、味噌汁、魚の干物etc.)の説明をしたら、私も変態あつかいされた。文化の違いですね。
最後に、まとまりのない旅行記を書く機会を与えていただき、また現地でもこのミーティングでの楽しい過ごし方を教えて下さったERATOの伊藤啓さんに感謝致します。
研究会名簿の変更情報をお知らせください
事務局 丸尾文昭
研究会名簿には、1997年1月末現在 390件(134研究室)の登録があります。昨年より、印刷版名簿の郵送はネットワーク利用者登録のない約30研究室にとどめ、その代わり、研究会ホームページで研究交流支援を目的に最新版の名簿を提供しております。
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~maru/JDRC/JDRCindex-j.html
名簿の変更情報は随時受け付けておりますが、特に年度が変わる時期にはたくさんの移動があると思いますのでここにご案内させていただきます。
・研究室の代表者が一括して報告くださっても、構成員が個別に報告くださっても構いません。
・卒研生は原則として掲載していませんが、Jfly Mailing list 参加者などは掲載しています。
・変更情報は以下の要領でご報告ください。
(研究室で一括する場合、共通項目は省略しても構いません。)
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日本ショウジョウバエ研究会名簿変更情報
変更事項:内容変更、新規入会、登録抹消 (←不要な項目を消去してください)
氏名:
ふりがな:
身分:
e-mail:
所属:
所在地:(〒 )
TEL:
FAX:
その他:
--------------------------------------
上記の内容に必要事項を記入して、e-mail、FAXまたは郵送で送ってください。
e-mail:maru@biol.tsukuba.ac.jp
FAX:0298-53-6669
郵送:〒305 つくば市天王台1-1-1 筑波大学生物科学系 丸尾文昭
また、4月頃までにはホームページ上のフォームで自動登録できるようにしたいと思っています。こちらもご利用ください。
名簿の記載内容の鮮度を保つために、どうかご協力をお願いいたします。
Jfly より
伊藤 啓
・ドメインネーム変更のお知らせ
毎号のようにドメインネーム変更をお知らせすることになり、まことに申し訳ありません。昨年10月に法人統合に伴って変更された科学技術信仰事業団のドメインネームが、この3月に再び変更されることになりました。このため、Jfly及びERATO
各プロジェクト関係のアドレスが、また変わります。
昨秋までのjrdc.go.jp、現在のjst-c.go.jpが、3月からjst.go.jpになります。(正式な移行は4月ですが、新ドメインネームは2月末から使用可能になる予定です。)一方旧ドメインの
jrdc は3月いっぱい、jst-c も6月いっぱいでアクセス不能になってしまいます。
住所録
電子メールソフトのアドレス・リストや
ニックネーム
ネットスケープなどのブックマーク
皆さまが管理されているホームページか
らのリンク
など、忘れずに更新していただけますと幸いです。
Jfly のアドレス
→ jfly@fly.erato.jst.go.jp
Jfly ホームページ
→ http://papageno.jst.go.jp/
(または http://202.241.18.171/)
Jfly Gopher サービス
→ gopher://papageno.jst.go.jp/
(または gopher://202.241.18.171/)
Flybrain 画像データベース
→ http://flybrain.jst.go.jp/
(または http://202.241.18.162/)
山元プロジェクト(町田)電子メールアドレス
→ ......@fly.erato.jst.go.jp
広橋プロジェクト(筑波)電子メールアドレス
→ ......@hccpgw.jst.go.jp
月田プロジェクト(京都)電子メールアドレス
→ ......@cell.tsukita.jst.go.jp
よろしくお願いいたします。
・研究室所有のストックリスト提供のお願い
Jflyでは日本各地のショウジョウバエ関連研究室が維持している系統のストックリストを提供しています。ストックセンターに無いハエや、ストックセンターからだと時間のかかるハエの取り寄せを国内のラボ同士で融通しあい、日本のショウジョウバエ研究の円滑化、活性化に寄与しようというものです。ショウジョウバエ研究会が数年前に集めたデータをもとに、去年の7月に大規模な改訂を行いました。現在のバージョンはJflyホームページの中の
Stock Lists
of Japanese Fly Labs (last updated: 1996 July)
で公開しています。
URL:http://papageno.jst.go.jp/HTML/Jfly_Stock_List.html
ネットスケープやインターネット・エクスプローラーの検索機能を使えば、簡単な検索も可能です。
現在リストを提供いただいている32研究室以外にも、各地の野生型系統や、各種の変異系統など、貴重な系統をお持ちの研究室が少なくないことと思います。研究テーマの変化で現在はただ維持してあるだけになってしまっている系統でも、他の研究室の人には大変有用なものがあるかも知れません。お暇の折にストックリストをまとめてお送りいただけますと、たいへん助かります。ご協力よろしくお願いいたします。
データ作成要領:
形式は特にございません。現在お持ちのストックリストがあれば、そのままで結構です。e-mailかフロッピーでお送り下さい。こちらで適当に整形します。
マッキントッシュでしたら、たいていのワープロソフト、エクセル、ファイルメーカー等に対応できます。そのままお送り下さい。
Windows、 MS-DOSの場合も、取りあえず送ってみて下さい。
リストを新たに作られるのでしたら、添字の扱いなどはFlybaseで用いられている記述方法に準拠して書いていただけると幸いです。
Flybaseの方から、将来的にはリストを統合したいとの依頼が来ていますので、注記などはなるべく英語でお願いできると幸いです。野生型の捕獲地名などはMiyakonojo
(都城) のように半角ローマ字と漢字で書いて下さい。
特殊記号類(丸数字やギリシャ文字)はインターネット上ではうまく読めない場合が多いので、半角英数字を組み合わせて置き換えていただけると好適です。またギリシャ文字はspell
outしていただけると幸いです。(delta2-3 のように)
無条件に譲渡できるもの、原作者の許可があれば譲渡できるといった条件付きのもの、などの区別がありましたら、そのむね注記して下さい。
ハエの種別(野生ストック、バランサー、突然変異、エンハンサートラップ etc.)や、その系統を管理している人など、現在提供されているリストを参考にして、適当に分類したり注記したりしてあると便利です。
ご多忙のところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
データの送り先:
伊藤啓 〒194 町田市南大谷11号
三菱化学生命科学研究所内
科学技術振興事業団
山元行動進化プロジェクト
E-mail: itokei@fly.erato.jst.go.jp
第3回研究集会のお知らせ
谷村禎一
前号でお知らせいたしましたように、「日本ショウジョウバエ研究会」の第3回研究集会は下記の日程で福岡において開催いたします。多数の方々のご参加をお待ちしています。参加・発表の申し込みの締め切りは6月末を予定しています。次号の通信と共に申し込み案内をお送りいたします。
日時 1997年8月20日(水)〜22日(金)(1日目午後〜3日目午前)
場所 「アクロス福岡」 (福岡市中央区天神)
内容は、これまでと同様、シンポジウム、ポスターを考えています。しかし、これにこだわらず、あたらしい企画案がありましたら是非お知らせ下さい。この会はこれまで運営委員の話し合いによって研究集会の内容が話し合われてきました。しかし、今回からこの形式がなくなり、代表者が中心になって対応することになっています。したがって、皆様おひとりひとりのご意見が貴重です。よろしくお願いします。また、海外からの訪問者がある場合は、この研究集会での発表のことを考慮していただけると幸いです。
当生物学教室の細胞遺伝学講座の方々の協力を得て、準備、運営を行いますが、福岡にはショウジョウバエの研究者が少なく、会の準備、運営は「省エネ」で行わざるをえません。申し込みなどもできるだけE-mailでお願いすることになります。
「ショウジョウバエ研究会 第3回研究集会」 運営担当 九大・理・生物 谷村禎一
研究集会用メールアドレス flyrcb@mbox.nc.kyushu-u.ac.jp
(メールが使えない場合の谷村の連絡先は以下をご覧下さい。)
日本ショウジョウバエ研究会
代表:谷村禎一 〒810 福岡市中央区六本松4-2-1 九州大学理学部生物学教室
TEL: 092-726-4759 FAX: 092-726-4644 E-mail: tanimura@rc.kyushu-u.
ac.jp
事務局: 丸尾文昭 〒305 つくば市天王台1-1-1 筑波大学生物科学系
TEL: 0298-53-4909 FAX: 0298-53-6669 E-mail: maru@biol.tsukuba.ac.jp
編集: 最上要 〒113 文京区本郷7-3-1 東京大学理学部物理 TEL: 03-3812-2111
(内線)4614 FAX: 03-3814-9717 E-mail: mogami@bio.phys.s.u-tokyo.ac.jp
ホームページ:http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~maru/JDRC/JDRCindex-j.html
Jfly:伊藤啓 〒194 町田市南大谷11号 三菱化学生命科学研究所内 科学技術振興事業団山元行動進化プロジェクト TEL:
0427-21-2334 FAX: 0427-21-2850
E-mail: itokei@fly.erato.jst-c.go.jp(3月からはitokei@fly.erato.jst.go.jp)
Jfly サーバー: http://papageno.jst-c.go.jp/ (3月からはhttp://papageno.jst.go.jp/)
または http://202.241.18.171/
編集後記
ご存じのように1995年度のノーベル医学生理学賞はショウジョウバエを使った研究に対し与えられました。本号では受賞者の1人であるEd
Lewisにつき藤田忍さんに書いていただきました。また岡部正隆さんにEuropean
Symposium on Drosophila Neurobiologyのご報告を頂戴いたしました。原稿日照りの編集担当にはたいへんありがたく、感謝いたします。
次号は6月刊を目標といたしますが、研究集会のスケジュールに合わせ前後するかもしれません。 mgm