討論会
8月4日(水)13:00〜15:00
「ポストゲノム時代にむけて」
コーディネーター 伊藤啓(基礎生物学研究所)
ショウジョウバエのゲノムは、アメリカ(バークレー)とヨーロッパそれぞれのゲノムプロジェクト(BDGP, EDGP)及び民間企業Celera Genomicsの努力によって、今年中にも全塩基配列が決定されそうな速さで解析が進んでいる。現在欧米は、DNAの全配列が解明されたことを前提に、次のステップとして何をやるかを計画・実施する段階に入っている。ゲノムプロジェクトは、単に全配列を決めるという作業だけを指すのではなく、ゲノム全体を視野に入れた総合的かつ大規模な研究全般をも指すが、ショウジョウバエにおけるゲノム全塩基配列決定後のこのような研究が今後どのように展開するかという方向性は、この1、2年で決まるだろう。
日本はショウジョウバエを使った研究の活発さという点から言うと、アメリカやイギリスには負けるけれど他の国はすでに超えていると言ってもいいレベルに達している。だが欧米のゲノムプロジェクトが立ち上がった当時、日本では何か貢献できるだろうかという議論は活発には行われないままに、なし崩しにこれまで過ぎてきてしまった。全塩基配列が解明された次の段階(いわゆるポストゲノム)の時代がちょうど始まろうとしている今、日本がこれに対してどのように接してゆくか、いちど皆で考えてみるのも悪くない。このような考えで、本日の討論会を企画させていただいた。
考慮すべきバックグラウンド:
・ゲノムプロジェクトは、必ずしも遺伝子クローニングの仕事をしている人だけに関係があるのではない。たとえば今回の世話役である私自身、クローニングはやらないということを旗印にしている解剖学者である。分子生物学はもちろんのこと、解剖・生理・行動・集団・進化・分類などの分野でも、研究費を獲得し、有力な雑誌に論文を発表し、いいポストに就職するためには、ゲノムとの関連を意識することが非常に重要なファクターになってきていると思われる。
・ゲノムプロジェクトは、通常の研究とは本質的に違う性質を持っている。通常の研究では、解明した配列や作成した系統は、それを論文にするまでは私蔵していて構わない。しかしゲノムプロジェクトでは、全ての産物をすぐに公開し、広く一般の利用に提供してしまう。個々のデータを作業者自身が論文にすることは少ない。研究というよりはサービスセンターの性格が強い。
・従ってゲノムプロジェクトは、個々の研究室が片手間にできる仕事ではない。非常に労働集約的な作業が伴うので、何らかの予算を獲得して、学生や研究者でなくテクニシャン・アルバイトレベルのスタッフを雇用する算段が必要になる。
・「ハコもの行政」に慣れた我々は、新しいプロジェクトというと、つい新しい組織の設立や建物の建設を前提にしがちであるが、既存の組織や進行中の研究プロジェクトから、使えるものを最大限利用・活用することが効率的であろう。
・DNAの全配列を決めるだけならば、ほとんどの作業はファージと大腸菌とコンピューターで行われる。しかし今後は、大量の突然変異系統や異所発現系統などハエそのものを作成・配布する作業が要求される。従ってストックセンター的なものとの連携が、重要な要素になる。
・得られた成果を利用する側からいえば、なるべく多くのデータやツールが集中して揃えられている方が便利である。欧米で大型のプロジェクトが進行している以上、日本で欧米の単なるミニ版を立ち上げても、ほとんどの人はより完備した欧米のプロジェクトの方を利用してしまうだろう。自己満足に終わらせない方法を考える必要がある。中途半端なものを作るよりは、いっそこれまで通り全面的に欧米に依存すればよいという議論もじゅうぶん成り立つ。
・日本でゲノムプロジェクトをやる場合には、日本の税金を使うことになる。長期的には世界人類の福利に貢献するものだとしても、まず日本のショウジョウバエ研究・生物学研究の利益になるようなものでなくては、予算は獲得しにくい。欧米同様、ショウジョウバエ研究者のなかでゲノムプロジェクトに直接従事するのは、ごく一部の人であろうが、その人達が日本の他の研究者にとって利用価値のあるもの、利用しやすいものを作成・提供できるよう考える必要がある。
・現実問題として、「ハエ」だけではお金は取りにくい。他のより「主流」の生物を使ったプロジェクトとどう関連させてゆくかも重要な要素である。
以上のような点を念頭に置いて、以下の順で議論を進めてゆきたい。
1:BDGP, EDGPでは何をやっているか。今後はどのように展開してゆくか。
2:我々がゲノムプロジェクトを考えるとき、考慮すべき視点、問題点にはどのようなものがあるか。
3:日本のストックセンターの現状はどうなっているか。今後はどのように伸展してゆくか。
4:日本では現在、ゲノムプロジェクトに関連するような研究はどのようなものが進行・計画されているか。
5:総合討論
本日の討論会では、何らかの結論めいたものを出すことは目的としない。言いっぱなし、聞きっぱなしになることは構わないと考えている。この機会になるべく多くの方に自分の思うところを述べていただき、それが今後それぞれの研究者が研究計画を立てたり共同プロジェクトを立案したり、あるいは自分の将来の進路を考えたりする際に、何らかの参考になれば幸いである。