モーツァルト没後200周年追悼ミサ

 1991年の12月5日はモーツァルトの没後200周年の記念日。あちこちでいろいろな催しが開かれましたが、ザルツブルグでは、大聖堂(ドーム)でモーツァルト協会主催のモーツァルト追悼ミサが、モーツァルト作曲のレクイエムを用いて開かれました。同じ時間にウィーンでは聖シュテファン大聖堂で、ウィーンフィルによってレクイエムが演奏されて全世界に中継されたのですが、ウィーンのは教会で開かれたとはいえ形式は普通の演奏会だったのに対し、ザルツブルグのは司祭が司式する正式なミサの形式で行われた点が異なります。モーツァルトの時代とちがい、レクイエムの曲を典礼の中に実際にはめ込んで追悼ミサが開かれることは、現代ではきわめて珍しいのです。 

 興味深い機会なので、ザルツブルグの大聖堂付属オーケストラ・合唱団の指揮者にちょっとツテができたのを幸い、お願いしてこの日だけ臨時に合唱団に混ぜていただき、ミサに参加しました。ドイツ圏の大きな教会では、毎週のミサの際に聖歌などを演奏する団体を持っています。合唱は大体アマチュア、ソロは若手の(もしくはギャラの安い)声楽家、オーケストラは学生や定年退職した演奏家です。ザルツブルグの大聖堂もこの組み合わせでやっています。演奏会の際は、演奏者は聖堂の祭壇の真ん中に並びますが、ミサの時は、演奏者は十字形の聖堂の横の張り出しや、聖堂の一番うしろの正面入り口の真上にある聖歌隊席に並びます。今回はこの聖歌隊席で、せまい中にオケや合唱団がごちゃごちゃに入って、雑然とした雰囲気。ザルツブルグはアルプスの端の町とて、12月に入るととても寒く、聖堂内も暖房はないに等しいので、みなジーパンにセーターにコートを着込んで、首にはマフラーを巻いたままです。歌っていると口から出る息が白くなる寒さですから、背に腹は代えられないというところでしょう。そんな中にときどき普通の演奏会に出る時のように黒い礼服で決めた方も混じっていて、違和感をかもしだしています。

 レクイエムは、元来が追悼ミサの典礼文を曲にしたものですから、そのまま礼拝儀式の中にはめ込んで使えます。演奏会のように全曲を一度に歌うのではなく、曲の間に聖書の朗読やら説教やらの礼拝儀式がはさまります。(全体がどのような流れになるかは、 「ラテン語宗教曲・単語の意味と日本語訳」をご覧ください。)

 さて当日は、もうみんな慣れている曲だからと練習もリハーサルも無しの演奏で、その点ではわりといい加減でした。私たちから見ればこのような追悼ミサは「200周年の貴重なイベント」なわけですが、現地の大聖堂付属オーケストラ・合唱団からすれば、ミサの中で曲を演奏するというのは「いつものお仕事」なわけですから、これは当然なのかも知れません。3曲目からが出番のバスのソリストは、1曲目の終わり頃になってやっと到着し、最後の出番が終わるとまだ後の曲があるのに帰ってしまいました。司祭の説教のあいだは、下の階にいる礼拝参加者はありがたくお話を拝聴しているはずなのに、上の聖歌隊席では休憩時間といわんばかりにみんな足を投げ出して座って、小声でおしゃべりに夢中。オーケストラのメンバーは、その間に順番に並んでギャラの入った袋を受け取っていたりして、緊張感のないことおびただしいものがありました。説教が終わりに近づくと指揮者が小さく合図をして、みな態勢を整えなおし、説教が済んだ瞬間に間髪入れず次の曲(ドミネ・イエズ)を歌い出すので、下にいる人には、上が直前までどんなにだらけていたかは全く分かりません。石造りの大聖堂は残響が非常に長く、下の階の席に座っていると、後上方から降ってくる声楽やオルガンは神の声のように聞こえる効果があります。が、実際に声を出している人間が神のようであるかは、効果には関係ないわけです。

 時間の都合か、本番直前に指示のあった通り演奏は相当の早いテンポで、朗読や説教や聖体拝領を含めて、追悼ミサ全体が1時間半で終わってしまいました。「レクイエム」だけでもふつうに演奏しても1時間と少し、ゆっくりした指揮者だと1時間半近くかかる曲ですから、いかに早かったか察しがつくことでしょう。

 とはいえ、演奏がいいかげんだとかレベルが低いとかいうわけではなく、さすがにザルツブルグの大聖堂ですから、ドイツ圏のそこらの町の教会よりは、聖歌隊もオーケストラもソリストもはるかに高いレベルです。演奏していないときの緊張感の無さも特筆すべきものがありましたが、ひとたび演奏に入るときの緊張感の切り替わりも、また特筆すべきものがありました。一番大事なのは実際に聞こえる音なわけですから、そこさえしっかりしていれば他の細かいことには全然こだわらないというたいへん実用本意なやりかたも、ある意味とても参考になるものです。

 観光シーズンでない冬のザルツブルグ(ちなみに現地では「ザ」と濁らず、「サ」ルツブルグという)は夏とは大違いで、観光写真で有名な池や噴水は雪よけのため木の小屋みたいなもので覆われて見えず、大聖堂横の広場に描かれた巨大なチェス盤(天童名物の巨大将棋みたいなもの)は消されてしまい、チェスの駒もどこかにしまわれてしまっています。マリオネットが演ずるオペラも有名ですが、私の行ったときはちょうど日本へ演奏旅行中でした。夏のザルツブルグ音楽祭は著名な音楽家の演奏会が沢山開かれるので有名ですが、元来が人口20万人弱の小都市で近くに他の都市もないので、常設のオペラ座や劇場は小さなものです。夏の音楽祭ではウィーンのオペラがザルツブルグ祝祭劇場で公演しますが、これはあくまで引っ越し公演であって、ザルツのオペラ界とウィーンのオペラ界は全然別物で大した交流もないそうです。ウィーン歌劇場が東京でよく公演するからといって、二期会とは何の関係もないのと同じようなものなのでしょう。

 ザルツブルグにはユースホステルや若者向けの安ホテルが結構沢山ありますが、冬は大半が閉まってしまい、実はなかなか不便です。ザルツブルグは寒い場所なのにもかかわらず近くによいスキー場がなく、一年を通じて観光客を集めるのは難しい面があるのです。

(伊藤啓 : 当時書いた手紙を再録しました)