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色盲・色弱の人の体験談

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 色盲や色弱の人が直面する問題の一つに、色盲や色弱が仕事の能力に直結するのではないかという偏見があります。「色盲や色弱なのに各方面で活躍しているという人の例がほとんどないではないか?だから色盲や色弱は不利に違いない」という考えです。

 他の障害と違い、色盲や色弱というのは自分が言わなければ他人には分からない場合も少なくありません。そのために、実際には多くの分野で色盲や色弱の人がおおぜい活躍しているのに、あたかもそういう人はほとんど居ないかのように見えてしまっています。

 これから職業選択に臨む色盲や色弱の若い方にとって、果たして自分が志望する分野で色盲や色弱の人は普通に仕事できているのか?またその仕事につくにあたって、色盲や色弱であることがどういう点では案外困らなかったか?逆にどういう点では不便であったか?そのような不便をどのように回避し・克服したのか?を具体的に知ることは、大きな参考になるでしょう。

 また現代の日本では、残念ながら色盲や色弱であると分かると、それだけで就職や昇進、また日常の仕事を進めるうえで差別や偏見を受けることがあるという現実があります。しかし、すでに仕事で高い評価を得て、ある程度の地位に達している人なら、色盲や色弱だと公表しても今さら不利益をこうむる心配は少ないことでしょう。むしろそういう方が積極的に公表することによって、色盲や色弱への偏見を減らしてゆく効果があると思います。

 そこでこのセクションでは、さまざまな分野で活躍しておられる色盲や色弱の方に、自分の経験を語っていただきました。参考になれば幸いです。

(なるべく多くの職業について体験談を集めたいと考えております。ご協力いただける方は、ぜひ伊藤啓 (itokei@iam.u-tokyo.ac.jp) までご連絡下さい。)


「色盲・色弱の人の体験談」目次 > 美術・デザイン・映像関係 > 栗田 正樹

栗田 正樹

プロフィール

1975.3 北海道大学工学部金属工学科卒業
1976.3 北海道大学大学院金属工学科大学院中途退学
1979.3 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1981.3 早稲田大学理工学部大学院建設工学専攻課程修了
●職歴
・建築設計事務所、CG制作会社などを経て、有限会社ソノーク設立。代表。 一級建 築士
ホームページ:http://www.0-0net.net/shonogh/
●業務内容
・建築設計
・コンピュータグラフィックス
・オブジェ、アクセサリ、ロゴのデザイン
・絵画(墨絵、点描画、CG画など)
・ウェブ上のコミュニケーションゲーム立案・企画
・ゲームの美術設定
・ウェブデザイン
●受賞歴
1979.6 NIAEウィリアム・バン・アレン奨学金国際学生競技設計2等入選
1980.3 早稲田大学小野梓記念芸術賞授賞
1985.4 北国の住まい競技設計 優秀賞 授賞
1996.10 目黒雅叙園アートプライズ大賞授賞
1999.3 演出・監督した「もんすけ」CGのCMが広告電通賞北海道地区優秀賞受賞
2001.8 KAJIMA彫刻コンクール模型入選
2002.11 「環境と都市の美術展」入選

子供のころの経験

 母方の祖父が色盲で苦労したとのこと。祖父は薬剤師ですが、当時の試験で、色盲 のために毎回落ち続けました。しかし、のんびりした時代だったのか、20回目で温情 試験管が通してくれたという話です。その孫にも色盲が遺伝するということは親戚の 間で知識がありました。私の長兄は色盲ですが、次兄はそうではありません。私の家 では長兄と三男の二人に遺伝しました。

 私の場合には、それほど強い色盲ではないのですが、緑色の箸と茶色の箸を同じ色 だと思って使っていました。絵は小さな頃から大好きで、毎日のように紙に鉛筆やク レヨンで描いていました。クレヨンの色もたくさんあるとよくわからなくなりました。 ふかみどりと茶色の区別がつかなくて、明るいところで塗ってみて確認したりしてい ました。

 それでも、あまり気にはならずに、楽しく絵を描いていました。小学校の頃は市の 写生大会で一等賞をとったこともあり、絵の具もうまく使っていたようです。空を緑 色に塗ったことがありました。自分では、薄い黄色系に塗ったつもりだったのですが・ ・・。しかし、物語の中の絵だったので、不思議な色遣いが褒められたりしました。

 色覚検査ではいつも暗い気持ちになりました。どうして私だけが分からないのだろ う?と思いました。通知票に「色覚異常・赤緑色弱」と書かれるのが嫌でした。でも、 長兄が同じように色盲ですので、おじいちゃんの遺伝だからしょうがないやと諦めて いました。

 授業で困ったことはほとんどないです。赤のチョークは見にくかったですが、まあ、 読めないことはないし、気にもしませんでした。むしろ近視が進み、小学校の六年生 の頃には一番前でやっと見える程度でそれの方が気になっていました。当時、小学校 で眼鏡をかけている子供は少なかったですね。

 絵も描き続けていました。特に車が好きで、毎日飽きもせずに車の絵ばかり描いて いました。それで何の問題もなく高校まで暮らしていましたが、厳しい社会の壁があ りました。私はカーデザイナー志望で、それには千葉大学の工学部の工業意匠学科と いうところに行けば道がひらけるというところまで調べました。ところが受験の要項 を取り寄せて愕然としました。「色神異常者は受験不可」とありました。これって言 葉もきつい書き方ですよね。情け容赦もない書き方です。受験さえもさせてくれない んですから。これはショックでした。目の前真っ暗になりました。確か、12月頃で受 験追い込みの時期でしたね。

 それでも、気を取り直して「建築の道に進む」と考えを変えて北海道大学の理類に 入りました。しかし、大学の教養部の成績が悪くて当時人気のあった建築工学科には 進めず、金属工学科に進みました。金属工学科では薬品を扱いますので、困ったこと があります。微妙な薬品の色が分からないのです。でも、友人に聞いたり、先生に聞 いたりしてしのぎました。大学のテニス部の友人のひとりが「俺は色盲だから銀行に 就職できない」と嘆いていたのを憶えています。銀行は赤い字を判別しなければなら ないからだそうです。確かに、赤いボールペンの字より青いボールペンの字の方が私 にとっては目立つのでした。

 結局は建築の道を諦めきれずに早稲田大学の建築学科に編入学したのですが、そこ では色については困ること何一つありませんでした。意匠系の大学院に行っても困り ませんでした。ただ、就職のときに色盲の友人が大手建設会社を受験するときに「ほ とんど色神には異常はありません。ごく弱い色弱で、色盲とは違います」と言い張っ て合格したという話を聞いたことがあります。何かちょっと苦いものを感じた記憶が あります。

社会に出てから

 建築の設計の仕事を始めてからはやはり困りました。一番困ったのは、住宅の仕上 げ材を選ぶときでした。壁や天井に貼る材料は微妙な色が多いんです。このときはい つも同僚に「これはベージュ系? それとも緑系?」と確かめながら仕事をしていまし た。見本の裏の番号を覚えては選んだりしていました。

 5年ほどして建築の設計からソフトウェアの開発の会社に移りました。ここでは総 務・人事などの仕事で管理的な業務ばかりでしたから何も困りませんでした。

 10年ほど前にデジタルアニメーションの制作の現場に移りました。最終工程の「撮 影」と呼ばれる部門です。ここでは色はすべてがちがちに決まっていて何も苦労はあ りませんでした。一度だけ「黄色の光キラキラ」と書いてある指示書でうっかりして いて「緑の光キラキラ」と設定して失敗したことがあります。しかし、デジタルでの 作業は色マップから選ぶのでとても楽です。自分の選択している色が「緑系なのか赤 系なのか」が絶対に間違わないのですからこれは嬉しいです。「今私は、微妙な黄緑 色系で塗っている」と確信できるのはとても気分が良いものです。心の目で塗ってい るようなものですね。心の中では色は完全に整理されているのですから、それをコン ピュータの助けを借りて確実に間違えることなく塗れるのです。

 それまで、私は色についてはいつも迷いがありました。絵が好きで、デザインも好 きでしたが、色を使うことにためらいがありました。ところが、コンピュータの助け を借りることによって、彩色に自信がついたのです。

 そして、最初はおそるおそる。そして、だんだんと自信に満ちて色のついた絵を描 くようになりました。今では、非常にカラフルな絵を描きます。先輩の絵描きの方に 見てもらったことがありますが「栗田君は非常に色感が良いよね」と言われました。 美術の世界では「色感」という言葉があるらしいです。その言葉を聞いたときに私は うっとりとしました。そして「色使いは目ではなく心でするのだ」と気がついたので す。

 今の仕事は、建築の設計、建築パースの制作、印刷物のデザイン、ウェブデザイン、 ロゴマークデザイン、コマーシャルなどのCG映像制作、などなど色に関わる仕事ばか りですが、少しの苦労で何とかこなしています。時々妻や子供や同僚に確認しながら 色の作業を進めています。お客様にも「私は色盲ですので、色について間違っていま したらご遠慮なく申しつけてください」と事前に言うことが多いです。たくさんの人 が関わる映像の仕事では特にそうです。しかし、色遣いについては私は人よりも上手 だと思っていますし、うまいと言われることもあります。もちろん、他の人よりも何 倍も気を遣って色を使っていると思います。

 また、これは本当のことですが微妙な青系の色には非常に敏感です。特に墨の色に ついては普通の人よりはるかに敏感です。私は墨の抽象画も描くのですが、墨はとて も豊かな色を持っていると実感しています。

ひとこと

 私は、自分の色盲についてはずっと劣等感に悩まされてきました。気にしない気に しないと思いつつ、心のどこかで「千葉大に進学して、それからカーデザイナーにな りたかった」ことが引っかかっています。時々、ふっと劣等感が頭を持ち上げること もあります。

 しかしようやく社会全体が「色盲」を認知し、バリアフリーの動きも出てきている ようで、素晴らしいことだなと思います。これからは少なくとも私のように希望の進 路を諦めることのない社会になることを祈っています。色盲の人が色遣いが下手と言 うことはありません。むしろ、色についてより敏感に「心の目で」感じることができ るのだと思います。そして、私のように色に囲まれている仕事でも、なんとかコンピ ュータやまわりの人たちの助けを借りて充分にやっていけることをこの場でお知らせ できるのはとても幸せなことです。ありがとうございました。