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色盲・色弱の人の体験談

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 色盲や色弱の人が直面する問題の一つに、色盲や色弱が仕事の能力に直結するのではないかという偏見があります。「色盲や色弱なのに各方面で活躍しているという人の例がほとんどないではないか?だから色盲や色弱は不利に違いない」という考えです。

 他の障害と違い、色盲や色弱というのは自分が言わなければ他人には分からない場合も少なくありません。そのために、実際には多くの分野で色盲や色弱の人がおおぜい活躍しているのに、あたかもそういう人はほとんど居ないかのように見えてしまっています。

 これから職業選択に臨む色盲や色弱の若い方にとって、果たして自分が志望する分野で色盲や色弱の人は普通に仕事できているのか?またその仕事につくにあたって、色盲や色弱であることがどういう点では案外困らなかったか?逆にどういう点では不便であったか?そのような不便をどのように回避し・克服したのか?を具体的に知ることは、大きな参考になるでしょう。

 また現代の日本では、残念ながら色盲や色弱であると分かると、それだけで就職や昇進、また日常の仕事を進めるうえで差別や偏見を受けることがあるという現実があります。しかし、すでに仕事で高い評価を得て、ある程度の地位に達している人なら、色盲や色弱だと公表しても今さら不利益をこうむる心配は少ないことでしょう。むしろそういう方が積極的に公表することによって、色盲や色弱への偏見を減らしてゆく効果があると思います。

 そこでこのセクションでは、さまざまな分野で活躍しておられる色盲や色弱の方に、自分の経験を語っていただきました。参考になれば幸いです。

(なるべく多くの職業について体験談を集めたいと考えております。ご協力いただける方は、ぜひ伊藤啓 (itokei@iam.u-tokyo.ac.jp) までご連絡下さい。)


「色盲・色弱の人の体験談」目次 > 科学者(工学系) > 多田 章

多田 章

プロフィール

宇宙航空研究開発機構 総合技術研究本部
新型航空機技術開発センター SSTプロジェクトユニット
誘導制御チームリーダ

1946年10月生まれ。1975年東京大学工学系大学院(航空学)博士課程修了。
19743年から1974年まで一年間米国ボストンのMITに留学。
 専門分野は航空宇宙機の制御。航空宇宙技術研究所(2003年10月に宇宙科学研究所および宇宙開発事業団と統合)に入所以来、操縦者の特性研究のかたわら、短距離離着陸実験機、有翼宇宙往還機、成層圏(飛行船)プラットフォーム、超音速小型実験機の各プロジェクトに参加。1992年9月に実施された第一次材料実験では手動制御宇宙実験の主担当者(P.I.)。


 私は工学系を出て超音速飛行技術のための実験機の開発で制御を担当しています。大学2年(昭和42年)頃に進学振り分けといって、学科ごとに学生が志望を出し、成績順に受け入れがきまりました。このとき工学部では「化学」が色盲色弱不可であったと思います。私の進学した航空学ではその後一切不都合はありませんでした。

 一度、友人と色盲色弱だと何か困ることがあるか考えたことがあり、「色盲だと電気抵抗のコードが読めないかもしれないな」という結論になりました。昔はラジオを作る子供も多く、そのとき使う抵抗に色のバーコードが書きこんであって、数字をいちいち読まなくともバーコードの色でそれが何オームの抵抗か(よく使っている人には)分るようになっていました。しかし、バーコードの色が実 際に識別できない人がいるかどうかを確認した訳でもありませんし、電気抵抗を扱うくらいの人はバーコードの色に頼らなくても容易に識別できるわけですから、色盲の人でも困らないのではないかと思います。無責任に、幾分無理矢理に探したところが「かもしれないな」の表現になったものです。

 その後、工業化学に進んだ友人に質問する機会もあったのですが、彼は「ええっ、そんな制限あったっけ?色覚で困りそうなことはないと思うがなあ」とは言っていましたが、色盲でない人はあまり意識して確認していないと思いますから、そうあてにはなりません。

 結局、私の場合は仕事上なんら不都合はありませんでした。また工学系の友人たちからも仕事上の不都合例を聞いたことはありません。

 次に、仕事とは無関係ですが、私が自分の色弱について経験したことを思いつくだけ書いてみます。

 私は「軽度の赤緑色弱です。簡単な検査では見落とされるかもしれませんが」と言われたことがあります。検査表のあるページで「なんて書いてありますか」と繰り返し言われて、判じもののように苦労した挙げ句、赤と緑を繋げるとなんとか文字として読めるのに気付き、判じものの答えを見つけたように見せた時引っかかったものです。

 実生活では、公告などで稀にベタの赤とベタの緑が直接隣り合っていることがあると、境界線のところでどちらかが浮き上がって見え、大変不快になります。また、色弱のせいかどうか分りませんが、暗いところで紺と黒を間違え易いので、黒い靴下はカラフルな模様の入っているものしか持ちません。葬儀用の靴下は普段用の靴下と違うところに入れて貰っています。家内も間違えることがあり、普段用のところに葬儀用の黒靴下が混ざっていることもときどきありますが、私は用心深いので、怪しいと思うと明るい光のところで確認しますから、最終的に間違えたことはありません。ズボンのバーゲンは暗いところが多いので、帰宅してから見てみると思っていた色調よりも黒が勝っていてがっかりすることがよくあります。

 実生活で一番困るのは、識別が困難なことではなく、心ない人達の言動にとても腹が立つことです。最近もあるグループで本を購入するとき、色盲の人には見えにくいものを購入しようとしました。この本は、発行後抗議があって、別途、すべて黒字に代え、色分けのところを太字などで区別し直したものが(廉価になって)発行されています。私が「黒字のものにしなければいけません」と言ったところ責任者は「でも私たちのグループには色盲、色弱の人はいないでしょう」と言ったものです。この心無い態度を読者はどう思われますか?私は救いがたい無知だと思いました。しかし、自分で経験していないという意味では同じように、色弱の私は色盲の人に心ないことをしているかも知れない、と今は思うようになりました。