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昆虫脳の脳構造を定義する枠組みを完成Ito.K., Shinomiya, K., Ito, M., Armstrong, D., Boyan, G., Hartenstein, V., Harzsch, S., Heisenberg, M., Homberg, U., Jenett, A., Keshishian. H., Restifo, L., Rossler, W., Julie Simpson, J., Strausfeld, N. J., Strauss, R., and Vosshall, L.B; The Insect Brain Name Working Group.A systematic nomenclature for the insect brain. Neuron, 81, 755-765, 2014.
全脳レベルの神経回路解析が他の生物にさきがけて進んでいる、ショウジョウバエをはじめとする昆虫脳でも、この問題は重要である。そのため、5年以上の歳月をかけて、4ケ国の15研究室からなる国際チームをまとめ、今後の脳研究の共通基盤となる「昆虫脳のすべての脳構造を定義する体系の枠組み」をショウジョウバエの脳を基準として作成し、公表した。この枠組みでは最新の脳研究成果を総合して脳全体を43の領域に区分し、境界と名前を定義した。また、混乱やばらつきがある用語37種類について解決策を定めた。新たな枠組みは、すでに各国の大規模脳データベースで脳の場所を記述する基準として採用されており、今後の昆虫脳研究のスタンダードとなる。 細胞系譜に基づくショウジョウバエ脳全神経投射回路のマップIto, M., Masuda, N., Shinomiya, K., Endo, K., and Ito, K.Systematic analysis of neural projections reveals clonal composition of the Drosophila brain. Curr. Biol, 23, 644-655, 2013.
ショウジョウバエ嗅覚一次中枢の網羅的神経投射マップTanaka, N. K., Endo, K. and Ito, K.The organization of antennal lobe-associated neurons in the adult Drosophila melanogaster brain. J Comp Neurol, 520, 4067-4130, 2012.
ショウジョウバエ脳神経の包括的画像データベースShinomiya, K., Matsuda, K., Oishi, T., Otsuna, H., and Ito, K.Flybrain Neuron Database, a com-prehensive database system of the Drosophila brain neurons. J Comp Neurol, 519, 807-833, 2011. 脳にある様々な神経の形状や投射パターンに関する記述は、多数の文献に、異なった形で掲載されており、情報を一望して比較することが難しい。そこで既知のすべての神経を網羅して、分かっている情報を統一的な形で整理した初のデータベースを作成した。神経に関する情報、脳の領域に関する情報、特定の神経をラベルする分子マーカーや発現誘導系統に関する情報の、3つのデータベースをリンクさせて相互に検索可能にすることによって、膨大な情報を整理して概観できるようにした。さらに、これらの情報を利用して、いくつもの論文に散在した情報をまとめることによって個々の論文では解析できていなかった神経回路ネットワークの特徴を明らかにし、情報を集約して比較することの有用性を示した。 ショウジョウバエ味覚中枢の初の体系的神経投射マップMiyazaki, T. and Ito, K.Neural architecture of the primary gustatory center of Drosophila melano-gaster visualized with GAL4 and LexA enhancer-trap systems. J Comp Neurol, 518, 4147-4181, 2010.
ショウジョウバエ嗅覚一次中枢のGABA抑制性神経回路Okada, R., Awasaki, T. and Ito, K.GABA-mediated neural connections in the Drosophila antennal lobe. J Comp Neurol, 514, 74-91, 2009
本研究と並行して多数の共同研究を行い (Tanaka, Ito, Stopfer. J Neurosci (29) 8595-603, 2009; Das, Sen, Lichtneckert, Okada, Ito, Rodrigues, Reichert, Neural Development (3), 33, 2008; Sachse, Rueckert, Keller, Okada, Tanaka, Ito, Vosshal, Neuron (56) 838-50, 2007)、この結果新たに発見した2種類の抑制性局所神経の発生過程や、匂い情報のコードと反応可塑性に果たす特徴的な機能の違いについて、一挙に理解が促進された。 ショウジョウバエの重力感覚と聴覚の神経基盤Kamikouchi, A., Inagaki, H. K., Effertz, T., Fiala, A., Hendrich, O., Gopfert, M. C. and Ito, K.The neural basis of Drosophila gravity sensing and hearing. Nature (Article), 458, 165-171, 2009.
まず、それぞれのジョンストン器官神経グループで、細胞内カルシウム濃度に依存して蛍光強度が変化するタンパクを発現させ、触角を電気的に動かしながら神経の活動をイメージング解析した。その結果、一次中枢の5つの領域のうちのゾーンCに投射する神経とゾーンEに投射する神経は触角の定常的な変位に、ゾーンAに投射する神経とゾーンBに投射する神経は触角の振動に、それぞれ特異的に反応することが分かった。次に、シナプス小胞の放出を阻害する毒素を発現させて特定の神経の機能を特異的に阻害する実験を行うと、ゾーンCとEに投射する変位検知神経を阻害すると重力を検知する行動実験の反応が特異的に消失し、求愛の羽音を検知する行動実験には影響がないのに対し、ゾーンBに投射する振動検知神経を阻害すると重力への反応には影響がなく、音への反応が特異的に消失することが分かった。また脳内で感覚神経からの情報を受け取る二次神経の構造を解析すると、ハエの重力中枢と音中枢の神経回路構造は、ヒトの脳で重力と音の情報を処理する前庭神経核・蝸牛神経核と、それぞれ高い類似性を持っていた(図)。 これまで視覚・嗅覚・味覚について、哺乳類と昆虫の脳で情報処理回路が類似していることが知られていた。今回の研究で聴覚や重力感覚についても高い類似性が明らかになり、6億年以上前に分かれて別個に進化してきた2つの脳システムの構築原理の理解に新たな光を投じた。 神経細胞死はショウジョウバエ成虫脳のグリア増殖を惹き起こすKato, K., Awasaki, T. and Ito, K.Neuronal programmed cell death induces glial cell division in the adult Drosophila brain. Development, 136, 51-59, 2009.
ショウジョウバエ成虫の脳では、羽化直後の数日間だけ、脳の特定の数カ所で神経のプログラム細胞死が観察される。脳内の細胞増殖をハエの寿命の全期間にわたって体系的に調べた結果、神経幹細胞の成体期の増殖はいっさい見られないかわり、プログラム細胞死と同じ時期に同じ場所で、細胞の増殖が観察された(図の上段)。細胞の形態や分子マーカーの発現パターンから、これらの増殖細胞はグリア細胞だった。グリア増殖は神経のプログラム細胞死よりわずかに遅れて始まり、神経細胞死が見られなくなってしばらくすると終了する。また、プログラム細胞死の抑制遺伝子を神経細胞で発現させて細胞死が起きなくすると、グリア増殖は観察されなくなる。すなわちグリアの増殖は、神経のプログラム細胞死に呼応して起きている。 また、従来外傷などによる神経損傷に対してグリアが増殖する例が哺乳類で知られていたが、ハエの脳に投射する感覚神経を切断したり、脳に細い針を刺したりして神経損傷を起こさせると(図の下段)、損傷部位のまわりに特異的なグリア増殖が観察された。 プログラム細胞死に関与するTNFスーパーファミリーリガンドであるeiger遺伝子の変異体では、神経損傷とプログラム神経細胞死の両方に対して、グリアの増殖が著しく抑制される。この状態でグリア細胞だけに特異的にeiger遺伝子を発現させると、グリア増殖が回復する。従ってグリアでのeigerの機能が、神経損傷とプログラム神経細胞死への対応の両方に必要な、共通の機構であることが分かった。またグリア増殖が抑制されると、神経の細胞死は通常より増加した。つまりグリア増殖は、神経細胞死が周囲に与える影響を抑える効果を持つ。 面白いことに、グリアが増殖するのは羽化後1週間程度までの若い成虫だけで、年取った個体では脳に損傷を与えてもグリアの増殖は見られない。グリア増殖が起きる期間はハエの脳の嗅覚中枢に高い可塑性が見られる期間と一致しており、ハエ成虫の脳機能が羽化後最初の1週間とその後の期間で、大きく変容することを示唆している。 ショウジョウバエのキノコ体神経回路を構成する全細胞種の体系的同定Neuronal assemblies of the Drosohila mushroom body.Tanaka, N. K., Tanimoto, H., and Ito, K. J Comp Neurol. (508) 711-755, 2008. (MedLine)
ショウジョウバエ変態期における軸索プルーニングにはアポトーシス細胞貪食遺伝子drprとced-6が必須であるEssential role of the apoptotic cell engulfment genes draper and ced-6 in programmed axon pruning during Drosophila metamorphosis.Takeshi Awasaki, Ryoko Tatsumi, Kuniaki Takahashi, Kunizo Arai, Yoshinobu Nakanishi, Ryu Ueda and Kei Ito.. Neuron (50) 855-867, 2006. (MedLine) 発生過程においておおまかに作られた神経回路を、感覚情報の処理や複雑な行動の制御に最適で、機能的な形に完成させ、維持してゆくためには、いったん作られた神経回路の一部を部分的に作り替えてゆく作業が必要である。その際には、神経細胞の中で不要になった一部の神経線維だけを選択的に取り除いたり、新たな神経線維を再伸長させたりする必要がある。不要な神経線維が特異的に除去されるという現象は、神経回路が形成されるときだけではなく、怪我や病気で神経線維の一部が障害を受けたときにも起きることが知られているが、この現象の仕組みについてはほとんど分かっていない。
ショウジョウバエの脳における聴感覚神経投射の包括的な分類Comprehensive Classification of the Auditory Sensory Projections in the Brain of the Fruit Fly Drosophila melanogaster上川内あづさ、島田尚、伊藤啓 Azusa Kamikouchi, Takashi Shimada and Kei Ito (2006) Journal of Comparative Neurololgy (499) 317-356, 2006. (MedLine)
約4,000系統のGAL4エンハンサートラップ系統をスクリーニングして聴覚神経をラベルする系統群を選出し、まずジョンストン器官内部における聴覚神経細胞体の分布を三次元的に解析した。その結果、ジョンストン器官は約500個の聴覚神経を持ち、それらの細胞体は触角第三節の先端部(音受容時の聴覚器官振動の支点)を頂点としてお椀状に分布することを発見した。次にこれら細胞体から脳への軸索投射を解析した結果、軸索投射領域(一次聴覚中枢)は脳本体の中で触角機械感覚野と呼ばれる領域のほぼ全域、vlprと呼ばれる前大脳領域の一部、および食道下神経節の一部にわたって分布している事が分かった。
各ゾーンに投射する聴覚神経を選択的にラベルするGAL4エンハンサートラップ系統群を比較して、ジョンストン器官における細胞体の位置と一次中枢における投射ゾーンとの対応関係を調べたところ、聴覚神経の細胞体は、行き先である各ゾーンに応じて聴覚器官内部のそれぞれ特定の位置に一対のクラスター状、または同心円状に配置していることがわかった。 全40ページ、図版15枚18ページにわたるこの論文によって、これまで明確でなかったショウジョウバエの聴覚一次中枢の領域範囲とその内部構造が、初めて明らかにされた。また、ジョンストン器官の内部に複雑に配置された聴覚細胞の分布パターンが、初めて三次元的に解明された。また、一次聴覚中枢が5つのゾーンに区分けされ、それぞれが感覚器官の特定の領域に分布する特定の神経細胞群からの情報のみを受け取っていることが分かり、これらの領域がそれぞれ異なる種類の聴覚情報処理に関わっている可能性が示唆された。 ショウジョウバエ低次視覚中枢と脳の高次中枢を結ぶ視覚投射神経の体系的解析1:lobula 特異的経路Systematic Analysis of the Visual projection neurons of Drosophila melanogaster - I: Lobula-specific pathways.大綱英生、伊藤啓 Hideo Otsuna and Kei Ito. (2006). Journal of Comparative Neurololgy (497) 928-958. (MedLine) 視覚情報は眼に配置された多数の視細胞から、空間的配置を保ったまま低次視覚中枢に伝えられ、そこで輪郭や動きの抽出など様々な処理が行われる。これらの情報はさらに脳の様々な高次中枢に伝えられ、他の感覚情報と統合される。シンプルな繰り返し構造から成る低次視覚中枢は回路構造の解析が比較的容易であり、これまで詳しく解析されてきた。 神経経路を解析するには、投射先の領域を厳密に区別するための詳細な「住所」が定義されていることが不可欠である。しかし脳が小さく、神経が複雑に錯綜しているショウジョウバエの脳では、キノコ体などごく一部の部分を除き、脳の細かな領域がこれまで厳密に定義されていなかった。そこで我々は、グリア細胞による仕切り構造と容易に同定可能なランドマークになる脳構造を指標にして、脳本体を16の小領域に分割するマップ法をまず定義した。
これらの経路は全部で約500個の細胞から構成される。そのうち8経路約490細胞は、低次視覚中枢において視野の狭い範囲に相当する部分のみにコラム状に投射する神経が数十〜百数十個ずつ束になった構造をしており、残り6経路9細胞は、視野全体に接線状に投射する神経が1〜4個ずつ存在する構造を取っていた。ラベルされた神経においてシナプス小胞の局在を特異的に可視化して、その分布を解析した結果、前者のコラム状神経はすべて、 31ページ、図版17枚にわたる本論文は、脳内の細かな神経回路をひとつひとつ同定して詳細に記載するという非常に地味な報告であるが、視覚情報が脳でどのように処理されるかを本質的に理解するためには、このような作業を積み重ねて複雑な回路構造の全貌を理解してゆく作業が不可欠である。 ショウジョウバエ変態期における軸索分岐の再編成にはグリア細胞による貪食作用が不可欠であるEngulfing Action of Glial Cells Is Required for Programmed Axon Pruning during Drosophila Metamorphosis粟崎健、伊藤啓 Takeshi Awasaki and Kei Ito. (2004). Current Biology (14) 668-677 (MedLine) 機能的な神経回路の構築には、発生および個体の成熟の過程で神経連絡を局所的に再編成させることが必要である。不要な軸索分岐の消失(プルーニング)はこの過程に見られる特徴的な現象だが、その制御機構はほとんどわかっていない。そこで我々は、変態期に神経回路の大規模な再編成を起こすショウジョウバエの幼虫キノコ体に注目して、軸索分岐消失の過程とそれを制御する機構を解析した。
軸索分岐消失は脱皮ホルモン・エクダイソンの受容で引き起こされることが知られている。そこでエクダイソンの受容をキノコ体神経細胞だけで特異的に阻害したところ、軸索分岐の消失だけでなく、グリア細胞の浸潤も抑制された。つまりグリア細胞の活性化は、グリア自身でなく神経細胞のエクダイソン受容によって制御されている。
ショウジョウバエ2次嗅覚中枢における情報経路の統合Integration of chemosensory pathways in the Drosophila second-order olfactory centers.田中暢明、粟崎健、島田尚、伊藤啓 Nobuaki Karl Tanaka, Takeshi Awasaki, Takashi Shimada, and Kei Ito. (2004). Current Biology (14) 449-457 (MedLine)
そこで我々は、嗅覚情報処理系のモデル系としてショウジョウバエの2次嗅覚中枢における2次神経と3次神経の結合パターンを解析した。まず、昆虫脳の2つの2次嗅覚中枢である側角とキノコ体のうち、側角に注目した。1次中枢である触角葉と2次中枢である側角を結ぶ個々の投射神経(2次神経)が、それぞれの中のどの部分と神経連絡するのかを断面を比較して調べた結果、触角葉の特定の領域から伸びる神経は、側角でも特定の領域に収斂して投射していた。これにより、側角には特定の嗅覚感覚細胞群の情報を選択的に受容するような、いくつかのゾーンが存在することが分かった。
一方、もうひとつの2次中枢であるキノコ体では、2次神経は側角同様にゾーンを作って投射している。しかし3次神経の多くはゾーンをまたがって分岐を広げており、異なるゾーンから情報を集めた多様な3次神経が、キノコ体の同一の領域へと収斂して投射していた。従ってキノコ体経由で嗅覚情報を受ける脳領域は、嗅細胞が受容した全ての種類の嗅覚情報を統合しうるような神経回路構造になっている。
行動実験による脳機能解析から、キノコ体経由の処理経路は匂いの学習や記憶に重要で、一方定型的な匂いへの反応には、側角経由の経路だけで十分なことが分かっている。私たちのデータは、定型的な嗅覚情報処理では匂い情報の全体的統合は行なわれていないことを示唆している。 キノコ体はショウジョウバエの求愛行動に不要であるMushroom bodies are not required for courtship behavior by normal and sexually mosaic Drosophila.木戸麻実、伊藤啓 Asami Kido and Kei Ito. (2002). J Neurobiol (52), 302-11. (MedLine)
しかしよく考えると、これら脳の一部をメス化したハエでは、変化したのは求愛の対象になる相手の性だけであり、複雑な求愛行動のパターン自体は全く変化していない。本当に求愛行動の制御部位をメス化したのならば、オス特異的な行動自体が消失するはずなので、上記の実験結果の解釈には矛盾がある。 そこで我々は、従来のようにたかだか数十の GAL4 系統のスクリーニングではなく、数百系統を大規模にスクリーニングすることによって、transformer を異所発現させたときにオスが求愛行動を行なわなくなる系統を探した。これによって2系統が見つかった。これらの系統でどの細胞がメス化されるのかを知るために、脳内の GAL4 発現パターンを解析した結果、これらの系統ではキノコ体のような特定の領域でなく、脳の非常に広範囲な領域で GAL4 の発現が見られることが分かった。
そこでさらに、「キノコ体での異所発現によってバイセクシャルな行動を引き起こした」という従来の研究で用いられたのと同じ GAL4 系統を用いて、同様にキノコ体の除去を行なった。しかしキノコ体を除去しても、バイセクシャルな行動に変化は生じなかった。またこれらの系統の GAL4 発現パターンを詳しく解析したところ、実際にはキノコ体以外の脳領域でも様々な神経細胞に GAL4 が発現していた。 以上から、従来の通説と異なり、キノコ体はオスの求愛行動の制御に大きな関与をしていないと考えるべきである。求愛行動には嗅覚情報が不可欠であるが、昆虫の嗅覚情報はキノコ体と側角の2つの経路を通じて脳で処理され、そのうち今回の実験ではキノコ体経由の情報伝達を遮断しても影響がないことが分かった。従って求愛行動の制御には、側角経由の情報経路から伝えられる嗅覚情報が十分である可能性が高い。 その他進行中の研究脳の構造脳の発生 脳の機能 脳のインフォマティクス |